祈りとしての草木染
色には、それぞれ固有のエネルギーがあるという。例えば、赤は情熱の色、青は冷静さ、緑は調和的な落ち着き、といった具合に。それを利用したのが、風水やカラーセラピーである。そういったことに拘らない人でも、持ち物や着る服などの色には好みがあるだろう。しかし、洋服の色合いには気を使っても、その「色」が何に由来しているかまで考える人は少ないかもしれない。
今、私の机の上に、染織作家・大久保有花さんの手になる着物の端切れがある。草木染の絹糸で織られたこの端切れは、澄明な森の空気をイメージした音楽の一節を切り取ったかのように、淡い緑色を主旋律、濃い緑を通奏低音として、所々に差し挟まれる藍や紫、ピンクなどの色糸が明るい諧調を成している。この小さな布切れには、これを染め上げた草や木の生命が息づいている。この端切れを持つだけでも、木々の間に入った時のように呼吸が楽になるような気がするのだから、それが一つの着物となり、全身にまとったなら、どれほどのエネルギーに包まれることか。
無論、布や糸を染めるために使われた植物の、現象としての生命はすでに失われている。しかし、草木は死んだのではなく、染織家の手を経ることで、内部に隠されている生命力を極限にまで発揮し、絹糸の上に蘇っているのである。そのような目で眺めるとき、この小さな端切れは、草木の生命を宿しているだけでなく、染める人の生命をも宿しているのではないかと思われてくる。そしてそれ故、人にも植物にも個性があるように、出来上がる作品はみな、それぞれに違った風合いをもっている。
すべての創造行為は、最終的には祈りに近づいてゆく。祈りとは、ただ形として手を合わせ、神仏を拝むのではなく、自己を無にして神仏の持つエネルギーと共振共鳴するのが目的である。そのような祈りとして、人と草木の生命が一体となる場(フィールド)において、草木染という技法は成立しているのではないだろうか。
フリーライター、身体文化研究家。
1975年山口県生れ。関西大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。博士(文学)。
専攻は東洋美術史。関西大学他で非常勤講師を勤めたのち、現在は心身統一合氣道会・氣圧法認定者として整体の施術を行う。また、大阪および高野山にて身体運用の研究と執筆活動に取り組む。心身統一合氣道二段。